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カテゴリ:四国( 9 )


2007年 08月 18日

夏の思い出

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今治から来たと言っていた女の子にとって、この旅は夏の思い出になったことだろう。私にとってもとてもいい思い出になった。再訪できれば、司馬遼太郎のまたしても8巻にわたる長編「竜馬が行く」を読んで、土佐まで足を延ばしてみたい。女の子の視線の先には、静かに船が佇んでいた。
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内子の町

by dabadabax | 2007-08-18 14:44 | 四国
2007年 08月 15日

「坂の上の雲」とスペシャルドラマ

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松山に行く前に、ネットやガイドブックで「坂の上の雲」ミュージアムがオープンしたことを知り、図書館で本を借りて読み始めた。歴史物は好きだが、文庫本8冊を一気に読んだのは生まれて初めて。でも本当に面白かった。四万十川、砥部焼にも感動したが、この本に出会えたことも、今回の松山への旅の大きな収穫だった。知る楽しさを満喫した。

これは司馬遼太郎が調査に5年、執筆(昭和43年(1968年)から47年(1972年)にかけ産経新聞に連載)に4年と3ヶ月をかけ、松山出身の秋山好古、真之兄弟、真之の親友、正岡子規の生涯を中心に、幕末から日露戦争に至る過程を克明に記した、とてつもないスケールの話である。調べるについて無数の困難があったとあとがきに記してあるが、成立してわずか30余年という新興国家の中の人間と人生をこれだけ生き生きと描いた小説は、見事としか言いようがない。戦争もまるで戦場にいるが如くに逐一描写してある。事実関係に誤りがないように、限りない努力を払ったそうだ。アフリカの喜望峰を回って遠路はるばる来た強力バルチック艦隊がなぜ敗れたのか、非常に興味深かった。

皇帝が牛耳る専制国家、「ロシアはみずから負けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそういう事情のゆえにきわどい勝利を拾い続けたというのが日露戦争であろう」。帝国主義真っ只中の世界にあって、「もしロシアに負ければ、日本の全土がロシア領にならないとしても、対馬、佐世保がロシアの祖着地、北海道と千島劣等はロシア領になる可能性が高かった」。圧倒的に不利な戦争だったが、日本はロシアに勝利したのである。

だが「戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか40年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を凶器にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは、まことに不可思議なものである」とも記している。

おりしも今日は終戦の日だった。
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安藤忠雄設計のミュージアムは、町の中心地にある。また松山に行くことがあれば、是非また寄りたい。
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すぐ近くにある松山兄弟の生家。昭和20年の空襲で焼失したため、平成16年に復元された。兄弟が非常に美男子なのに驚くとともに、豊かではなかった子ども時代から、日露戦争勝利に導くまでの奮闘努力に惹き付けられた。興味のある方は以下のサイトも是非どうぞ。
[春や昔、坂の上の雲のファンサイト」
[坂の上の雲と秋山真之と村上水軍」
「坂の上の人々」

そしてNHKのスペシャルドラマに

by dabadabax | 2007-08-15 21:49 | 四国
2007年 08月 14日

「坊ちゃん」の舞台

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松山に行く前に、昔読んだ「坊ちゃん」を改めて読んでみた。四国の田舎、松山に赴任した坊ちゃんの正義感溢れる教師生活がいきいきと描かれていて面白い。でも教員同士のえげつない権力闘争に、大人になってしまった私は、もう少し賢く立ち回ったら違う生活があったのではと思ってしまった。しかし若い江戸っ子だからこそ、黙っておくことができず、辞表を送りつけてさっさと東京に帰ってしまったんだろう。「親譲りの無鉄砲で小供のときから損ばかりしている」という書き出しで始まる本は、今風にパート2がもしあるとすれば、次は東京でどんなことになったのだろう。ちょっと読んでみたい。

漱石は明治28年(1895年)4月に29才で松山中学に赴任し,1年あまりを松山で送った。その後,旧制五高(現熊本大学)の講師を経て,英国に留学(明治33年~35年:33歳~35歳)。松山から10年後の明治39年(1906年)に「坊ちゃん」を発表した。もう100年にもなるが、市内には[坊ちゃん」が多く見られ、愛されているのがわかる。a0035442_1150096.jpg
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市内の繁華街にある「坊ちゃん」というレストラン。「漱石の自筆の原稿もあるのよ」という店内にはゆかりのものがたくさん飾られていた。店前には坊ちゃん列車も。暑かったが、このパフェを全部食べたら元気が回復した(笑)。右は道後温泉の帰りに食べたと言われる「坊ちゃん団子」。そんなに甘くなく美味しい。
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店の前には「俳句ポスト」なるものがおいてあった。さすがの街である。


by dabadabax | 2007-08-14 12:44 | 四国
2007年 08月 11日

ロープウェイ通りから松山城へ

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市の中心にある松山城に行こうとロープウェイ通りに行き、驚いた。「坂の上の雲」を軸とする21世紀のまちづくりという市の活性化計画で素晴らしい通りになっていた。電柱がすべて地下に埋設され、お洒落な店が立ち並ぶ。一軒ずつが覗いてみたい、食べてみたいという店ばかり。歩いて楽しい道とはこういう通りなんだと実感した。都市観光を目指す武蔵野市にもこういう通りがあったらいいなあと思った。松山にはこういう観光スポットがたくさんある。
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ロープウェイで簡単にのぼれる城は、1603年に加藤嘉明が25年もかけて築いた広大な規模の城郭だった。大正12年には松山市に寄贈され、消失した二の丸や小天守閣なども復元されて、現在に至っている。
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「この門は一枚板で作られているんだよ」とガイドのおじさんの話に耳を傾けていた子どもたち。
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お城からは歩いて下りれる道もあり、二の丸史跡公園から眺めたお城。どこもきれいに整備されていて、地図やサインボードも多くあって歩き安く、街をあげて観光に力を入れているのが分かる。

by dabadabax | 2007-08-11 00:53 | 四国
2007年 08月 09日

道後温泉

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仕事場まで自転車で5分、道後温泉まで車で10分弱、20分も行けば海で釣りができる。東京の生活しか知らなかった息子は、松山の便利さ、豊かさを満喫している。600円も出せばランチにすごく美味しい握り寿司が食べられると言う。東京ではそういう暮らしは絶対にできない。
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松山と言えば道後温泉。松山に来たらやっぱり行かなくちゃと、車にバスタオル、シャンプー、リンスの一式セットを積んで連れて行ってくれた。歴史年表を見てみると、596年に聖徳太子、1795年には小林一茶、そして1895年(明治27年には正岡子規とともに夏目漱石入浴とある由緒正しい温泉である。宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとも言われる。金400円也を払った神の湯は、遅い時間だっただけに地元の人たちでいっぱい、いいお湯だった。こんな贅沢なお湯が楽しめる街って、なんていいところなんだろう。観光客がいなくなった夜11時近くにはさすがひっそりとした。
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すぐ前のおいでん屋で食べた魚はさすがの味。タコ飯も美味だった。

by dabadabax | 2007-08-09 15:23 | 四国
2007年 08月 08日

あこがれの砥部焼

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四万十川とともに、四国でずっと行きたかったもう一箇所が、松山市郊外の砥部だった。白地に藍の模様の入ったステキな砥部焼の器をずっと前にもらってから、いつか行ってみたいと夢見ていた。松山からバスで1時間近くかかるが、行って本当に良かった。砥部焼伝統産業会館では芸術作品とも言える素晴らしい焼き物の数々を満喫。そう、こういう器をずっと見たかった。
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遊歩道に砥部焼のプレートが埋められている陶板の道を上っていったところにウメノ青興陶園があった。センスのよい砥部焼がずらっと並べてあり、感激した。親切な奥さんがお茶もいれてくれ、丁寧に説明してくれた上、手ごろな値段の焼き物を紹介してもらった。一口に砥部焼といっても、いろいろなデザイン、模様があることを知った。
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われもこうのお皿

by dabadabax | 2007-08-08 00:06 | 四国
2007年 08月 04日

四万十川の屋形船

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台風が来ると沈下橋も沈み、水は道路の辺りまで増水すると言う。台風5号が直撃したようだが大丈夫だろうか。

江川崎からどんどん南下していく途中、時折見える四万十川の水の美しさに、是非屋形船に乗ってみたいねってことになった。この勝間沈下橋まで来てようやく看板を見つけた。1人50分2000円也を払って乗ったが、それだけの価値は大ありだった。船頭さんは「一見静かに見えるが、実は怖ろしい川で、ほら、あの渦巻いているところにはまると足を取られて死ぬこともある」。「沈下橋は対岸の住民の生活のためのもの。そこに車を止めるなどマナーを知らない観光客が増えている」。「自分も写真をやるからわかるけど、腹ばいになって撮ってみたら」とか、いろいろ教えてくれ、めったに見せないという美しい四万十や宿毛の写真を見せてくれた。この美しさはこうした地元の人々の尽力の賜物だろう。

「釣りバカ日誌」の撮影現場にもなったという川からあがった船頭さんは、アイスまでご馳走してくれた。ありがとうございました。「カヌーも楽しいよ」ということを聞いた息子は、早速その気になった模様。東京から松山まで行く車の上にサーフボードまでくくりつけて持って行った。カヌーでのんびり、ゆっくり下ったら、本当に楽しいだろう。こんなに透明で美しい川だもの。そしてその先の太平洋ではサーフィンができる。四国もいいところだね。
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正面の小学校のように見える建物は、今は四万十学舎という廃校を利用した体験宿泊施設。道路はここは二車線あるが、すぐに一車線になる。川は左側を流れている。
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by dabadabax | 2007-08-04 13:29 | 四国
2007年 07月 31日

沈下橋から飛び込む

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四万十川には、増水時に橋が流されず水中に沈むように設計された沈下橋(ちんかばし)が、本流、支流あわせて40本以上架けられているとか。写真は江川崎から河口までのほぼ中間地点にかかる勝間沈下橋。夏休みということもあって車で訪れる人も多く、橋の上では子どもたちが次々と飛び込んでいた。
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「地元では飛び込まないと遊び仲間に入れてもらえないから飛び込めるようになる」と屋形船の船頭さんが言っていた。、
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この女の子は下のお父さんが手を広げて飛び込むのをかなり待っていたが、結局やめてしまった。次回にはきっと飛び込めることだろう。

ちなみに子どもでも次々に飛び込んでいるのを見た息子は自分もと思ったが、いざ飛び込もうとして止めてしまった。思っていた以上に距離があり、怖かったそうだ。スキーもテニスもインストラクターの資格を持つスポーツ大好き人間だが、「石橋をたたいても渡らない性格だ」と本人が言っていた。知らなかった。

by dabadabax | 2007-07-31 14:54 | 四国
2007年 07月 30日

あこがれの四万十川へ

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日本の中でずっと行きたいと思っているところがいくつかあるが、まず不可能だと思っていた一つが土佐の四万十川だった。私は運転ができないし、夫はこういう旅は好まない。昔、野田知佑さんの愛犬「ガク」を乗せて世界の川を下る本が好きで、よく読んでいた。最後の清流と言われる四万十川を下る紀行文を読んでから、できるならばいつか行ってみたいとあこがれていた。野田さんは「四万十川カヌーキャンプ」なんてものもやっている。こんな子ども時代が羨ましい。

ところが、1年間限定で松山で仕事をすることになった息子が、知人から1年間借りている車で四万十川まで行ってくれると言う。長年の夢がかなうことになり、思い切って行ってきた。夏の富士を眼下に眺め、着いた松山からは思ったより遠かった。雑誌には江川崎というところから下流まで、サイクリングでも巡れると書いてあったが、とてもとても。車でなければ絶対に無理。川は予想していたよりずっと澄み切っており、最後の清流と言われるのがうなづける美しさだった。写真をたくさん撮ってきたので、しばらくお付き合い下さると嬉しいです。
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by dabadabax | 2007-07-30 14:26 | 四国